2年間の振り返りー自分の目指すものの変化
2年間の活動を終えて、現在は日本で形成外科医として修行しています。
少しずつ2年間の活動を振り返りたいと思います。
今日は一つ目。
「自分の目指すものの変化」について
僕が初期研修を終わってすぐにカンボジアに行ったのは、今までも何度か書いた通り、団体の代表の吉岡先生への憧れがあったからです。
活動への参加の前、心をキラキラさせて少年のような気持ちで「カンボジアに行きたい」と言えば、周りからは「現実をみろ」と言われることもありました。研修医が終わったくらいのぺーぺーが途上国へ行ったところでできることはたかが知れてる。むしろ判断を間違えて患者に悪いことをしてしまわないか。そんなふうに指摘されてしまうこともありました。指摘は図星過ぎて何にも言い訳できません。
だから僕はカンボジア人のためとか、恵まれない人のためとか、かっこいいことはいえません。憧れの人と活動するために、自分のために、カンボジアへ行ったのです。
吉岡先生は今50歳を過ぎて、徐々に現場を若い世代へ任せつつあります。もし自分が活動への参加を躊躇って先延ばしにしてしまうと、もしかしたら先生はいつの間にか現場から退いてしまうかも知れません。そうなってしまうと、後から話を聞くことはできるかも知れませんが、先生が患者を診る時の姿勢、手術の時のオーラや空気感、その瞬間その瞬間での判断など、同じ場所で同じ状況を共有していないと先生から学ぶことができなかったと思います。
私は吉岡先生と同じ時間を共有することでたくさんのことを吸収できたと思います。
そんな時間を過ごす中で僕の目指すものが変わりました。
今までは自分がこうなりたいという憧れに向かって行動することが多かったのですが、今は「真面目に生きている人が、病気になっても希望を失うことなく、また元の生活に戻れるような世の中」を目指して頑張りたい、「生まれた時に何か不自由があっても、希望を持って生きられる世の中」にしたいと思うようになりました。
カンボジアで過ごすなかで、貧しい人々が慎ましく送っている生活を身近に見たり、そういう人々が受ける理不尽な仕打ちを目の当たりにしてきました。でも私にはどうすることもできず、行き場のない怒りを社会に向けるしかなく、どうしたらこの人たちは救われるのだろうと考える中で、実現したい世の中を考えるようになったのだと思います。
これがまずひとつ僕が成長したことだと思います。「誰かに憧れてめざす」とか「誰かの跡を追う」だけでなく「実現したい世の中をめざす」を考えるようになりました。視野が広がったと思いませんか??笑
こんな感じで振り返っていきたいと思います。
今日はここまで。
正解ではないかもしれないけれど、納得のいく答えを見つける
お久しぶりです。
いつでも元気もりもりです。
カンボジアにはチャリティーの小児病院がいくつかあります。つまり小児には無料で医療を提供している病院です。ジャパンハート小児医療病院はその中の一つです。ですから小児に関しては、貧しい人でもなんとか病院にさえたどりつければ、何とか医療が受けられる病院がいくつかあります。
ところが大人に関しては無料で医療を提供している病院はおそらくありません。(例えばHIVや肝炎ウイルスの治療などある特定の疾患に対して医療を提供している団体はあります)患者さんにとってどんな病気も無料で診てくれる場所はジャパンハートだけです。
そんな事情もあり色々な社会背景をもつ患者さんがきます。
今日はある患者の話をしたいと思います。
彼は右胸壁に巨大の腫瘍があり来院しました。前医で生検され、化学療法を行ったものの腫瘍は小さくならず、むしろ大きくなり、困り果てて来院しました。
正直私たちに治療ができるのか判断が難しい症例で、手術をやってみることはできるが、かなり難しいというお話をしましたが、本人は、「手術は怖くない、このままどんどん大きくなっていくのを待つ方が不安だ」と言って手術をお願いされました。
実際手術をすると、腫瘍は胸壁の深くまで食い込んでおり、到底切除は不可能な症例でした。おそらく、日本でしっかり術前検査をして準備をしていれば、手術をするということにはなっていなかったかもしれません。
とにかく、手術をしてみたもののただただ患者を傷つけてしまい、手術を行うべきではなかったのではないかと思い悩みましたが、術後しばらくして手術の痛みが落ち着くと、患者は私たちに優しく話してくれました。
「手術をして腫瘍が小さくなって、胸の痛みが和らいだ。ありがとう。」
おそらく満足いく結果ではなかったと思いますが、患者が私たちの医療行為に対して感謝してくれました。本当に心が救われました。素直にこの言葉を受け取ってもいいのかはわかりませんが、私たちは間違っていなかったかもしれないと思いました。
その後の経過について書こうと思えばキリがないですので割愛させていただきますが、最後は患者さんの希望で、病院で亡くなるギリギリまで診続けました。(カンボジアでは亡くなるなら家に帰りたいという方が多いなかで、患者はここでのケアを受け続けたいと言っていました)
この患者さんから学んだことは、患者の望みを、希望が薄くても何とか叶えてあげようとする行為に、たとえうまくいかなくても患者は救われるのではないかということです。患者は前医で化学療法をしたのに腫瘍が大きくなり、医者にこれ以上治療できないと言われ、途方に暮れていました。おそらく手術を受ける時点でいろいろな覚悟をされていたのだと思います。
たぶん患者にとって、一番怖いのは病気を抱えながらもどの病院にもみてもらえず見放されてしまうことです。私たちはカンボジアで唯一大人に対しても無料で医療を行う病院ですから、患者にとっても最後の最後の望みをかけてくる人もいます。私たちにも技術的にや医療機器がなくて限界というものはあるのですが、もし治すことができなくても、決して見放さないことが大切なのではないかと思いました。治療できないのに診続けることは、なかなか医療者としても辛いです。だんだん悪くなっていく患者を診続けることは辛いです。それでも、患者が望むのであれば、ここでできることはなるべくしてあげられればいいなと思います。
もしかしたら無料で診てあげる唯一の病院だからこそ、将来は、最後の時を穏やかに過ごせるような場所や痛みをとってあげられる薬が増えたらいいなと思います。
今後も、もし目の前に私には手に追えなさそうな患者が来たとしても、なんとか患者にとって満足ができるように、たぶん医療的に正解ではないかもしれないですが、なんとか満足してもらえるように、診てもらって良かったと思ってもらえるように、何か解決策をみつけられるよう向き合っていきたいと思います、
それでは明日も元気もりもり頑張ります
もりもり
カンボジア情報誌プノンより
カンボジアの日系雑誌「プノン」にジャパンハートの紹介が連載されているのですが、10月号に私が紹介されました。
こちらでも紹介させていただきます。
肌で感じたカンボジアの医療②
お久しぶりです。
今、カンボジアはお盆の時期が終わりました。
カンボジアでは国民のほとんどが仏教を信仰しています。
お盆はご先祖様がお寺に帰ってくると信じられていて、約2週間に渡ってお寺で行事が行われています。ご先祖様は船に乗って帰ってくるらしく、だからちょうど雨季の川が増水したこの時期にお盆があるようです。
行事をご紹介すると、例えば、
夜明け前にお寺に向かってご飯を投げる。(ご先祖様は夜明け前にくるらしいので、食べ物をあげるため)
お坊さんに食べ物をお供えする。(ご先祖様にご飯をあげることになる)
などなど。
私もお寺(パゴダ)に行って、お供えをしました。
お坊さんの前で踊りをやっていたりして、独特です。
日本の仏教は質素で厳かに行事が行われる印象です(ひたすら修行のイメージ)が、なんかカンボジアの仏教では神様が出てきたり、賑やかな踊りがあったり、日本の仏教とは違うな〜と思います。
ただ、ご先祖様を大事に思う気持ちは変わらないと思います。
一つ前のブログで提起したカンボジアの医療やその他の問題点。
・衛生環境がよくない
・医療への信頼度が低い
・医療費が高く貧しい人は医療が受けにくい
・伝統医療が強く信じられている
・薬局で簡単に薬が手に入りすぎる
・健康診断がない
・国民の健康への関心が低い
今日は
・衛生環境がよくない
・医療への信頼感が低い
・伝統医療が強く信じられている
についてお話しします
まず衛生環境がよくない。
例えば下水道は特に地方では整っていません。病院からの排水も近くの池に溜まっていっている状態。病院のゴミはゴミ収集車に回収されてどこかに運ばれていきますが、そのほか民家では、道路沿いに捨てたり川に捨てたり、ゴミ収集は行われていないところが多い。だからか、カンボジアはハエが多いです。雨季になれば洪水がおきて、そういう排水がぶわぁ〜と道路に氾濫します。その中も裸足にサンダルで人々は歩いていきます。基本サンダルで生活しているので、基本足は汚いし(僕も)、あとは蚊にも知らぬ間に刺されていたり、それを掻いて傷になっていたり。その傷からバイキンが簡単に入って感染を起こしてしまうんでしょうね。足が感染してそれが広がって病院に来る人はめちゃくちゃ多いんですよね。
とにかく、ゴミの問題や、下水の整備、洪水への対策が必要で、それまではなかなか衛生環境は良くならないだろうな〜と思います。
手洗い等は新型コロナウイルスの影響か、カンボジア人の意識はとても高くなりました。
次に医療への信頼が低い。
これは、ポルポトの時代に知識層が減ったせいで、医師が減ってしまったこと。その人材不足を補うために医学部の大学はたった一年で卒業できたこと。また医者が足りないために、看護師が薬を処方したり縫合をしたりすることもあります(今もあります)。そんな人たちが医療者の中心でした。今もなおカンボジア人にとっての医療のイメージはよくはないのでしょう。
現在は、医学部は8年生となり、ここ数年で国家試験も始まりました。プノンペンやシェムリアップには国公立や私立の、高度な医療を行える大きな病院も増えてきています。徐々に優秀な人材が育ち、昔のイメージもよくなってくるでしょう。
最後に、伝統医療について。
これは、一つ前の項目とも似ているのですが、伝統医療というのがカンボジアでは信じられています。ポルポトの時代に医療者が減ってしまった後、村で人々の健康を支えてきたのは伝統医療を行ってきた人たちです。彼らは、おまじないをしたり、植物から塗り薬を作ったり、マッサージやお灸をしたり。
実際に病院に行くよりも安いし、アクセスもいいし、昔から信頼されているので、患者さんはよく伝統医療にまずかかることが多いです。
骨折とか本物の木で「添え木」を作っていい感じで治していたりもしますが、塗り薬を傷に塗って、感染を起こしより傷が悪化することもあります。
伝統医療の全てを否定するつもりはありませんが、早く病院に来てくれていたらなと思うことはよくあります。
今日はひとまずここまでです。
明後日からは、ミッションが始まります。
また頑張ります!
肌で感じたカンボジアの医療
お久しぶりです。
最近笑った話は、
私が胸のレントゲンを撮るときに
患者さんに「1・2・3で息を吸って止めてください」とクメール語で言っていたのですが、最近通訳の子に私の発音をチェックしてもらったときに、
「先生それだと『1・2・3で息を吸ってお尻の穴を閉めてください』になってる」と言われたことです。恥ずかしい・・・
それでもレントゲンは上手く撮れていたので、患者さんはお尻の穴を閉めつつ息も止めてくれていたのだと思います。
早くも8月になりました。
カンボジアは季節感が全然なくていつも暑いので、「今年もこの季節がやってきた」という感覚が少なく、日々過ぎていきます。
コロナの影響で4月のカンボジア正月が延期となり「みんな帰省せずに今住んでいるところで働きましょう」となっていたのが、先月急に「延期していたカンボジア正月を8月に振り替えました」と政府から発表があり、一気に8月の休みが増えました。管理職の方はシフト調整など大変そうです。
カンボジアの患者さんで多いのは、皮膚や怪我が感染してしまい、ひどくなる症例です。とてもとても多いです。最近は特に多いです。
さらに患者さんに未治療の糖尿病があったり、なぜかステロイドを飲んでいる人がいると、免疫力が弱く、全身に感染が広がってしまっている症例は本当に大変です。
私たちは臨床ですので一人一人の患者に向き合っていますが、立ち止まって「どうしてこういう患者さんが多いのか」を考えると、カンボジアの医療の状況や国民の教育が大切だなと感じます。
問題点は
・衛星環境がよくない
・医療への信頼感がまだまだ低い
・医療費が高く貧しい人は医療が受けにくい
・伝統医療が強く信じられている
・薬局で簡単に薬が手に入りすぎる
・健康診断がない
・国民の健康への関心が低い
まだまだあるとは思いますが、今思いつくだけでもたくさん、そして一つ一つの問題点は掘り下げていくと根底でつながっているように思います。
また次回から一つ一つ考えたことを書いていこうと思います。
当たり前のありがたさ
お久しぶりです。
最近はカンボジア語が結構わかるようになってきて、通訳の子が通訳してくれなくなってきた森田です(笑)
最近は雨季になり毎日大雨が降る日が続いています。
この時期は停電や断水が増えるのですが、比較的、病院では不自由なく活動ができています。
ある夜のこと、
寮の水が出なくなりました。
そうすると、シャワーも浴びることができないし、トイレの水も流せなくなり、非常に困ります。
私は知らなかったのですが、ここ最近しばらく断水していて、何日も水道会社からの水が来なくなっていたそうです。
そういう時は井戸水をタンクに貯めて、水道から水を出していたようですが、そのタンクの水がなくなってしまって、水が出なくなってしまったのでした。
いつも電気や水道など諸々のことは、非医療者のスタッフが管理してくれています。しかし、夜でしたので、スタッフは家に帰っています。
その時は、寮の一部のスタッフだけでなんとか井戸水をタンクに貯めようとしたのですが(井戸水をタンクに組み上げるシステムがあるのですが)、うまくいかず、なくなく家に帰っているスタッフを呼び出して、水を貯めてもらいました。
その時、そのスタッフのことを本当にかっこいいと思いました。
普段、当たり前に使っている水や電気は、彼らによって守られていて、そのありがたさにやっと気づきました。
私たち医療者は一番患者の近くで接するため、患者から感謝されることが多く、良いことをした気分になるのですが、見えないところで医療者以外のスタッフが活動を支えてくれていることを、改めて感じました。
当たり前のものって大切なものなのに、普段は大切さを感じにくい。
途上国での医療活動は当たり前のありがたさをよく感じられます。
足りないものを嘆きがちですが、自分が医師として活動ができることが、それだけでありがたいことだということを日々忘れないようにして、謙虚に活動していけたらと思います。
一年を振り返って part2
おつかれさまです
途上国で医療活動をして一年、自分が成長したと感じることや変わったことを考えてみました。
・英語で論文を読むようになった
普段診療していてわからないことや病気に出会った時に、日本であれば、医学書を買ったり、病院の図書館へ行ったり、専門の先生に質問したりできたのですが、こちらではなかなか難しいです。また、カンボジア人ドクターから質問を受けた際に、日本語の医学書を見せてここに書いてあると見せてもあまり意味がないし、伝わらないです。幸いインターネットがあれば、論文を検索して最新の情報が手に入ります。そしてカンボジア人ドクターにも情報を共有することができます。今は気になったことがあれば論文を検索し調べる習慣がつきました。これは世界中のどこに行ったとしても役に立つのかなと思います。
・自分が何かを企画してやるようになった
勉強会や心肺停止患者に対してのシミュレーション学習など、今までは受講する側でしたが、現在は自分で開催するようになりました。しかも英語でやるので僕にとってはとても難しい、、、。でも開催することで、自分の理解も深まりますし、シミュレーション学習は本番の時に自分が英語で指示を出せるための練習にもなります。また、新人ドクターがだんだん教えたことができるようになっていく姿を見るのは楽しいです。
・医療の面から経済というものを考えるようになった
経済がしっかりしていないとしっかりした医療が提供できないなと感じます。医療はとてもお金がかかるということです。医療設備はもちろんですし、学生から医者一人を育てるのに物凄い額のお金がかかるというのもあります。また医療の発展には研究や新薬の開発など、お金がないとできないことが多いです。そして途上国では患者さんもお金がなければ医療を受けることが難しいです。たぶん、国の医療制度を整えることについても、お金がかかるのでしょう。日本では基本的には国民皆保険で医療は平等であったので、あまりお金のことを考えたことがありませんでしたが、それも経済によって支えられていることが大きいと感じました。患者さんが「お金がないからできない」という場面も多く、難しいなと感じることが多いです。
・より患者の生活の状況を考えるようになった
日本にいるときは患者さんが誰であっても保険診療で、高度な治療を受けられます。むしろ、「できるのにしなかった治療」や、「やるべき検査をやらない」ことがあると、訴訟になってしまうことすらあり、いつもMAXの医療を提供するのが普通だと思います。
この患者さんの家はどれくらい遠くて、経済的にはどれくらいで、家族は誰がいて、この患者さんの予後はどれくらいで、、、この薬はどれくらい効果があるのか、、、毎週のフォローはちょっと負担が多すぎないか、、、これ以上治療を続けることに意味はあるのか、患者やその家族の生活を苦しめるだけではないか、、、などなど。
薬や治療だけでなく、家での生活に気をつけて欲しいことがあっても、例えば受食事に気をつけましょうと言っても市場で手に入るものは限られているし、宗教上の理由で食べる時間が決まっていたりすることもあります。
つまり、患者さんの経済状況や生活と相談しながら治療をカスタマイズしていく必要があるということを学びました。
将来、日本の医療が保険でまかないきれなくなった時、高度な医療はお金持ちしか受けられなくなるかもしれません。もしかしたら、将来の日本の医療も、誰もが平等に治療を受けられるのではなく、人によって受けられる医療が変わるのかもしれないと考えることもあります。
他にもあるとは思いますけど、とりあえずこれくらいにしようと思います。
またぼちぼちブログを描こうと思います。
医師としてもそうですが、人間的にも成長したと思いますし、医療や世界への考え方が大きく変わった一年になったと思います。
今後は自分から病院やカンボジアに良い影響が与えられるように頑張りたいと思います。